大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成9年(ワ)9203号 判決

原告 鈴木幹男

被告 国

代理人 松崎研丈、根原稔 ほか二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録〈略〉記載一の3の土地が原告の所有であることを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の母鈴木ゑ津子(以下「亡ゑ津子」という。)は、昭和二八年九月一五日、別紙物件目録記載の一の1ないし3の土地(以下「本件土地」という。)を占有していた。

2  亡ゑ津子は、本件土地を、小松芳男から賃借していたが、昭和二八年九月一五日、本件土地を同人から買い受けたものであって、その際、別紙物件目録記載一の3の土地(以下「本件係争地」という。)が国有地であることを知らないことについてなんら責めに帰すべき事由はなかった。

3  亡ゑ津子は、昭和三八年九月一五日経過時、本件係争地を占有していた。

4  亡ゑ津子は、昭和五三年三月二〇日死亡し、その相続人は原告である。

5  原告は、昭和四八年九月一五日経過時、本件係争地を占有していた。

6  原告は、被告に対し、平成九年六月一七日(本件第一回口頭弁論期日)、右各時効を援用するとの意思表示をした。

7  よって、原告は、被告に対し、本件係争地につき、昭和三八年九月一五日及び昭和四八年九月一五日の取得時効に基づいて所有権が原告に有することの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし5の事実は不知

原告の、後記三、2記載の行為は、本件係争地が存在し、かつその所有権が国にあることを自認していることにほかならず、真の所有者であれば通常とらない態度であるから原告の所有の意思は否定されるべきである。

また、亡ゑ津子の昭和二八年九月一五日の占有を開始するに当たって、本件係争地にかかる公図及び登記簿を調査すれば、容易に本件係争地の存在することを知り得たはずであり、本件係争地の占有の始めに過失があったというべきであるから、本件係争地について一〇年の取得時効は成立しない。

2  同7は争う。

三  抗弁

1  (本件係争地は公共用財産であって、公用廃止処分がなされていない)

本件係争地は、別紙物件目録記載一の1及び2の各土地に隣接し、その西側に続く道路から、東京都板橋区仲宿三六番二、同番五の両土地(現況道路)に挟まれた道路に至る国有無番地の一般の交通の用に供されるべき公共の道路であり、国有財産法(昭和二三年六月三〇日法律第七三号)三条二項にいう公共用財産である。また、本件係争地は、道路法(昭和二七年六月一〇日法律第一八〇号)の適用を受けない道路であり、実務上「法定外公共用財産」と呼称され、国有財産法九条三項、同法施行令六条二項の規定により東京都知事が建設省所管国有財産部局長として管理している。建設省所管国有財産部局長である東京都知事が、法定外公共用財産たる本件係争地について、用途廃止処分をしたことはない。さらに、公共用財産について黙示の公用廃止処分があったとして取得時効が認められるためには当核財産が、(1)長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、(2)公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、(3)その物の上に他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、(4)もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなったことが必要であり、右要件は時効の基礎となる自主占有開始時までに存在することが必要である。本件において、原告が占有開始時であると主張する昭和二八年九月一五日当時の本件係争地の客観的状況は明かではなく、長年の間事実上公の目的に使用されることなく放置されている状態であるということはできない。

2  (時効援用権の喪失)

原告は、昭和五九年三月二三日付で東京都知事に対し、本件係争地と別紙物件目録記載一の1及び2の土地との境界確定申請を行い、同年五月一〇日の立ち合いを経て、同年六月一三日に境界確定協議が成立している。右境界確定協議は原告も立ち合ってなされたものであり有効であって、これにより所有権の範囲を合意により確定して国有地の存在を認めることは、当該国有地についての取得時効の主張と相いれない行為であるから、信義則上時効援用権を喪失したものと解される。また、平成七年六月ころ原告に依頼を受けた土地家屋調査士である西嶋守は、板橋区に対し払下げを前提とする用途廃止について相談しているが、右行為は、本件国有地の存在を自認していることにほかならないから時効援用権は喪失したものと認められる。

四  抗弁に対する認否及び主張

抗弁1について

争う。

本件係争地について黙示の公用廃止処分が成立した時点は、遅くとも原告の父亡鈴木角三郎(以下「亡角三郎」という)が、本件土地を小松芳雄から賃借した昭和二〇年一一月四日の時点である。右時点において、本件係争地上においてこれを跨ぐ形で建物が存在していたし、本件係争地が、それまで道路として使用された痕跡が全く残されていなかったからである。

抗弁2について

原告と被告との間で、昭和五九年六月一三日に本件係争地に関し境界確定協議が成立していることは認める。しかしながら、右境界確定協議は、原告から依頼を受けた司法書士及び同人からさらに依頼を受けた土地家屋調査士が原告の真意である公図訂正の依頼とは異なり、境界確定協議の形で手続きが進められ、右司法書士や土地家屋調査士から充分な説明も受けられないまま進められたものであり、右境界確定協議は、原告は土地所有権の範囲を確定する手続としての認識を欠いていたものであってその要素に錯誤があり無効(民法九五条)である。また、右境界確定協議の前後を問わず、本件係争地を含む本件土地の使用に関し、被告から異議を述べられたことは一度もなく、本件係争地を継続して使用することになんらの障害もなかった。さらに、本件係争地が被告の所有であることになると原告の所有・占有する土地の面積は、登記簿上の面積から三〇平方メートル弱すなわち本件係争地の面積相当分を減じることになり、原告は、この範囲についていわれもなく余分な固定資産税等を納付し続けてきたことになる。右のような事情に鑑みても原告が本件取得時効を援用しても信義則に反することはない。

理由

一  請求原因について

〈証拠略〉によれば請求原因1ないし5の事実が認められる。

被告は、原告の占有について所有の意思のない旨主張するが、被告の当該主張は、時効完成後のものである点で理由がない。また、一〇年の取得時効について、亡ゑ津子が昭和二八年九月一五日の占有を開始するに当たって、本件係争地にかかる公図及び登記簿を調査すれば、容易に本件係争地の存在することを知り得たはずであり、本件係争地の占有の始めに過失があったというべきである旨主張するが、前掲証拠によれば、亡角三郎が昭和二〇年一一月ころ当時存在していた別紙物件目録記載二の建物(以下「本件建物」という。)を所有者である渡邊直一から購入し亡ゑ津子、原告らで居住して来たもので、原告の亡角三郎が昭和二六年二月一五日に死亡後は亡ゑ津子が右建物と土地の借地権を相続したものであって、右建物は本件係争地を跨ぐ形で建っており、敷地の回りは板塀で囲ってあったこと、その後、昭和二八年九月ころ本件土地の所有者である小松芳男から購入の打診があったので、亡ゑ津子は購入したものであることが認められる。そうすると、亡ゑ津子は、不動産業者でもないのであるから、右の当時の状況からしても、公図及び登記簿を調査する義務があるとまでいうことはできないから、被告の主張は理由がない。同6の事実は、当裁判所に顕著である。

二  抗弁について

1  抗弁1(本件係争地は公共用財産であって、公用廃止処分がなされていない)について

(一)  前記一で認定の事実、前掲証拠及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(1) 昭和二〇年一一月ころ、亡角三郎は、本件土地上に存在していた本件建物(大正六年一月一六日付登記)を、右建物の所有者である渡邊直一から購入し、その後亡角三郎、亡ゑ津子及び原告らの家族で居住するようになった。そのころの本件建物の状況は、南北に本件係争地を跨ぐ形で建っていた。また、本件土地の北西の方角の部分には、本件係争地を跨ぐ形で井戸や物置が建っていた。本件土地の周囲は板塀で囲ってあった。

本件係争地が、それまで道路として使用された形跡はなく、現実にそこを通行する人もなかった。

(2) その後、昭和二六年二月一五日、亡角三郎が死亡したことにより、本件建物及び本件土地の借地権を亡ゑ津子が相続した。昭和二八年の九月頃本件土地の所有者であった小松芳男から底地を購入してくれないかとの話があったので、亡ゑ津子は底地を購入することにし、昭和二八年九月一五日売買による登記をなした。

(3) 昭和二九年か同三〇年ころ、本件建物については建て増しをしたが、それは、本件土地の裏にあたる北側に法務局の板橋出張所があったので、そこを司法書士に貸すためであった。昭和三一年の春ころ、原告の家族は、港区青山へ住所を移転したが、右建物は、仕切って数人の司法書士に貸すことにした。右建物の管理について昭和三六年か同三七年ころまでは亡ゑ津子がしていたが、その後は、不動産業者に任せた。

(4) 昭和四〇年代の後半に、右建物に変更を加え、その建物は本件係争地を跨ぐ形ではなくなった。なお、それまで建て増した分などについての建物の登記はしなかった。

その後、昭和五三年三月二〇日、亡ゑ津子が死亡したことにより、本件土地とその上の右当時の建物を原告が相続した。昭和五八年ころ、前記法務局板橋出張所が移転したため、舟木司法書士のみが右建物を継続して賃借したが、その他の賃借していた司法書士は移転した。原告は、昭和五七年八月ころ原告が経営する会社の事務所を右建物に移転した。

(5) 昭和五九年一月ころ、原告が経営する会社が中央信用金庫から融資を受けるについて本件土地を担保に供したが、その際、中央信用金庫の担当者から本件土地の公図の中に国が所有する土地がある旨知らされた。

原告は、右中央信用金庫の担当者から公図の訂正をしたほうが良いとの助言をされたことから前記舟木司法書士に公図の訂正を依頼した。舟木司法書士は、さらに渡邊土地家屋調査士に依頼した。渡邊土地家屋調査士は同年三月二三日付で建設省所管国有財産部局長である東京都知事に対し、原告の代理人として、原告所有地と国有公共用地である本件係争地との境界が不明であるとして国有公共用地境界確定申請書を提出した。同年五月一〇日、都知事は認定外道路敷の管理者である板橋区及び原告に現地で立ち合ってもらい、同年六月一三日付で、本件係争地の境界が確定した旨の通知書を原告に対し送付した。右通知については、公共用地境界図が添付されていたが、原告から異議が述べられたことはない。

(6) 原告は、渡邊土地家屋調査士の右(5)の本件係争地の境界確定手続きが進められるにしたがって、本件土地の中に国が所有する土地があることを前提に、原告がその払い下げを受けるということになってきたことから、原告が考えていた手続と異なることが分かったので、原告としては渡邊土地家屋調査士に対する依頼を打ち切ったと認識している。

(7) その後、平成七年ころ、原告が経営する会社と取引がある富士銀行板橋支店の担当者から本件土地に関して、本件土地の公図によると本件土地の中に国が所有する土地がある旨以前に中央信用金庫の担当者と同じことを言われたので、富士銀行板橋支店の担当者から司法書士を紹介されさらに土地家屋調査士を紹介され、右土地家屋調査士が調査したところ、既に本件係争地の境界確定手続がなされているということであったので、右土地家屋調査士に対する公図の訂正の依頼を打ち切り、原告代理人に相談し、本件訴訟に至ったものである。

(8) 本件訴訟において、訴訟外で話し合いによる解決ができるかどうか協議したが、結果的にまとまらなかった。

(二)  本件係争地は、国有財産法(昭和二三年六月三〇日法律第七三号)三条二項にいう公共用財産であり、道路法の適用を受けない道路であり、実務上「法定外公共用財産」と呼称され、国有財産法九条三項、同法施行令六条二項の規定により東京都知事が建設省所管国有財産部局長として管理しているものであるところ、東京都知事が、法定外公共用財産たる本件係争地について明示の用途廃止処分をしたことがないことが前掲証拠及び弁論の全趣旨によって認められる。そこで、本件係争地について黙示の公用廃止処分があったと認められるかが問題になるが、そのためには(1)長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、(2)公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、(3)その物の上に他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、(4)もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合であることを要する。前記認定の事実によれば、本件係争地は、本件土地の一部として昭和二〇年一一月ころ、亡角三郎が本件土地上の本件建物を買い受けた時から本件建物の土地として使用され、しかも、本件建物は、本件係争地を跨ぐ形で建っていたこと、井戸や物置も本件土地を跨ぐ形であったことが認められ、本件土地は板塀で囲われていたこと、本件係争地は、それまで道路としての機能を果たした形跡はなく、実際に昭和二〇年一一月以降も本件係争地を通行した者はなく、原告及びその家族の居住用の土地として使用していたものであるから、亡ゑ津子が、本件土地を占有していた、昭和二八年九月一五日の時点において、本件係争地について右(1)ないし(4)の要件を満たしていたものと解するのが相当である。よって、この点の被告の主張は理由がない。

2  抗弁2(時効援用権の喪失)について

前記二、1、(一)に認定の事実によれば、原告は、渡邊土地家屋調査士を代理人として昭和五九年三月二三日付で東京都知事に対し、本件係争地と別紙物件目録記載一の1及び2の土地との境界が不明であるとして国有公共用地境界確定申請書を提出した。同年五月一〇日、都知事は認定外道路敷の管理者である板橋区及び原告に現地で立ち合ってもらい、同年六月一三日付で、本件係争地の境界が確定した旨の通知書を原告に対し送付した。右通知については、公共用地境界図が添付されていたが、原告から異議が述べられたことはなかったこと、原告は、渡邊土地家屋調査士の本件係争地の境界確定手続きが進められるにしたがって、本件土地の中に国が所有する土地があることを前提に、原告がその払い下げを受けるということになってきたことから、原告が考えていた手続と異なることを認識したことが認められる。そうすると、原告が境界確定協議をなしたことは、国有地である本件係争地について取得時効の主張と相いれない行為であるから、信義則上取得時効の援用権を喪失しているものと考える。原告は、本件係争地について公図の訂正を意図していたものであるし、右境界確定協議も公図の訂正のための手続であると認識していたし、渡邊土地家屋調査士や舟本司法書士からも右境界確定協議の意味について説明もなされなかったから、右境界確定協議は錯誤により無効である旨主張する。しかしながら、原告には公共用地境界図も送付されていたものであること、その後、原告が考えていた手続きと異なることを認識していながら特に異議を述べたことはないこと、国有公共用地境界確定申請を代理人としてなした渡邊土地家屋調査士についてその意思に錯誤などの事情を認められる事情はないことからすると民法一〇一条一項の趣旨からも原告が右境界確定協議を錯誤により無効と主張することは出来ないものとするのが相当である。よって、時効援用権を喪失したとする被告の主張は理由がある。

三  以上の次第で、原告の本件係争地について一〇年及び二〇年の取得時効を理由とする本件土地所有権確認の請求は、時効援用権を喪失したもので理由がない。よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 浦木厚利)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例